目にふれないお供養
目にふれないお供養
10月も既に月末、あと数日で11月を迎えます。
木枯らしに吹かれ、厳しい季節の予感の時期と思っておりましたら、京都は今日も多くの道行く皆さんは「半袖」の装いです。
いくら何でもおかしすぎます、ネットのニュースを見ますと東南アジアでは台風の影響で一日で二カ月分の雨にみまわれ、大変な被害が出ているようです。
日本だけではなく異常気象は既に世界規模なのですね。
国同士で争事をしている時ではないのですが。
今日は土曜日、お天気は暑いのか、寒くなって来ているのか定かにならぬ様子ですが、水子供養へお越しの皆さん、そして、蓮華堂、絆縁堂へお参りの皆さんは朝から家族で、或いはカップルでと多くの皆さんが山門をくぐられお堂へ向かわれます。
何度も申し上げておりますが、皆さんが此処は私たちの「お寺」という想いを感じる程に自然にお越しになられている姿を拝見致し、とにかく嬉しく、張り合いを感じています。
さて昨晩、お堂の火の元を確認、そしてゴミを集めに参りました。
蓮華堂の御本尊の前のお供えの棚に供えられましたお菓子、お供えが綺麗に整えられ、使えなくなりましたライターも一括りになり、使えないライターですとのメッセージまでありました。
どなたかは解りませんし、お参りにお越しの他の皆さんもこのことにはおそらくはお気づきにはなられていないと思います。
おそらくはご自身のお亡くなりの赤ちゃんへお参りをなされ、その後の時間でお供物台の周りを整理下さったのです。
お手合わせ、お香を手向け、お供えを致すことは勿論大切な供養です。
しかし、どなたにも気づかれなくても、自身の地蔵尊が祀られているお堂、そしてお亡くなりの赤ちゃんがおられるお堂を自身にて黙々と整理なされている姿を想像致しますと、「目にふれは致しませんが、本当に尊い供養」と言えます。
今回に限らず、蓮華堂外の子安地蔵尊の周りの木の葉を綺麗に掃き清めて下さる方がおられれば、みんなの花壇の花を自身の植えた花だけではなく、さりげなく手入れ下さったりと「見えないけれど、深いお供養の心」を感じることが多いです。
お寺の中で見えます様々な供養の形。
霊源院の住職を致させて頂き、お寺とご本尊のお守りを任されている者として、心から喜びを感じる所です。
お参りの皆さんの尊い「供養の心」、「供養の行為」はお亡くなりの皆さんの赤ちゃんに間違いなく届き、皆さんを笑顔で見守っていることと確信致します。
お供え物ははみ出ぬように願います
各家の地蔵尊、釘掛け、永代の地蔵尊共にお供えを致すスペースは限られています。
以前、隣のお供え物が自身の地蔵尊を隠してしまい「切ない」とのお声を頂きました。
お互いの空間を守り、お隣りへお供え物がはみ出ぬようにとお声掛け致しましたが、お陰様でご協力を頂き、良い環境が保てておりますが、最近は又、少しそのようにお供え物がはみ出ているのを目に致します。
皆さんが大切になされている環境です、これからも何卒、お供え物が隣にはみ出ぬよう、良き環境の保持にご協力願います。合掌