大本山東福寺塔頭として
歴史と伝統を紡ぐ霊源院

670有余年の歴史と伝統

東福寺北門よりまっすぐに進むと正面にあるのが霊源院。観応年間(1350頃)後醍醐天皇の皇子、龍泉和尚によって天護庵と号し創建され、龍泉和尚入寂後の応永年間(1400頃)在先希譲和尚により、現代に続く寺名霊源院と改称されました。

水野忠重候と霊源院

天象15年(1582年)本能寺の変の際には、現在の愛知県刈谷市の武将、水野忠重(後の備後福山藩藩主)を追手から匿いました。爾来、霊源院と水野忠重は好誼を重ね、豊臣秀吉主催の北野花見の際には、水野家の茶屋に雅な屏風を貸すなどの便宜を図ることもありました。境内の墓地には、福山城初代城主「水野勝成」候の墓所がございます。

明治初期創建の書院

明治の初期に創建された書院は、古来の書院造り様式そのままで、庭と相まって落ち着いた雰囲気を醸し出します。法要の際は書院広間をご利用いただいております。