お供養の基本、合掌

2024.10.23

お供養の基本、合掌

私達は比較的親しくお付き合いのお方とお会い致しますれば、挨拶を致し、片手をあげて「やー」と微笑みます、場所が変わりお寺へ参りそこの御本尊様を前に致しますと両手を合わせ深々と合掌、礼拝を致します。

右手と左手をピタリと合わせ遊ばせている手はありません。

仏様へ向かい、私の全身全霊は今お手合わせへ向かっていますということです。

そして、お手合わせをいたされておられるお方の心の内は仏様にしか見えておりませんが仏様も又、全身全霊でそのお方の想いを受け止めて下さいます。

水子供養を致され、その後、蓮華堂、絆縁堂、又、子安地蔵尊へお参りにお越しの皆さんの合掌なされている後ろ姿を拝見致さぬ日はありません。

その後ろ姿はどうか「私のこの想いを亡き赤ちゃんへ届けて下さい」との願いを込めて合掌なされていることが聞かなくてもストレートに伝わって来ます。

水子供養のネットの案内を時折拝見致しますが、「水子供養はどの様に致すのが良いですか」、「はたまた、水子供養の効率的なお参り方法は有りますか」などの問い合わせをお受けになられているサイトも時折お見掛け致します。

しかし、当たり前ですがお供養の基本は亡き御霊へこの私の想いの全てをお届け下さいと願い、その想いを伝える合掌なのです。

様々な事柄が激変致し、世の中の慣習も含め変わってきましたり、或いは完全に無くなっても、けっして「合掌」が消えることはありません。

それこそ、時には外国のお方でさえ見様見真似でなされているその姿を拝見致すことがあります。

それは、自分の感謝、想いを伝える大切な「作法」であるということを外国のお方も直観で感じておられるからではないでしょうか。

横道に逸れますが

さて、先に親しいお方とお会い致した時に、親愛の情を込めて片手をお顔の正面に立てて挨拶しますねと申し上げました。

片手の事を「隻手」(せきしゅ)と言います。

私たちの禅宗(臨済宗)は僧侶になる時は専門道場にて一定期間の修行を致します。

そこで、大切な修行はご存知のお方もおられるやも知れませんが「托鉢行」、「作務」、「座禅」などが日々行われています。

もう一つ大切な修行に道場の先生から「禅問答」のテーマを与えられ、それに向き合うという修行が有ります。

漫画の「とんちの一休さん」で随分と有名になりましたのでご存知のお方もおられますね。

その中で若い修行僧が最初に与えられるテーマが有ります。

それは、両手を叩けばパンと音がする、「では、片手の音を聞いてこい」と言われます。

最初は皆、「屁理屈」で様々答えを持っていきますがたちまち行き詰まります。

そこからが本番となります。

勿論、答えは語れませんが、一つだけ、私たちは思い込みで自分をがんじがらめに致し、しんどい、しんどいと言っていることがあります。

その思い込みから、「少し離れて見なさい」、そういたせば、「新たな景色が見えるのでは」と語っている所だけお伝え致します。

横道に逸れましたが片手のお話しでした。合掌