お供養が縁の出会いとなり

2024.06.05

お供養が縁の出会いとなり

人は生まれてきましたら、ご両親からの祝福は当然に、多くの近しい方々から喜びに満ちた祝福を頂きます。

そして、成長致すにつれ、多くの方々に出会い、助け、助けられ人生を過ごして行きます。

日々の生活の中で出会う方とのご縁は「良き縁」もあれば、時には無い方が良かったと思ってしまう「悪しき縁」も避けがたい所です。

良き縁の連続で日々の生活が過ごして行ければ、これ程に嬉しいことは無いのですが、そうは行きません。

先ずは心に留め置きたいことの一つに「良き縁」を結ぶためには、第一にこの私が他者から見て良き縁の対象にならねばなりません。

仏に向かっては真摯な手合わせの心を持ち、亡き故人へ向かっては深い敬慕の想いを持っての手合わせの心、日々の生活においては以前のブログにてお話しいたしました「看脚下」(自己の心を覗き、点検いたすこと)、の言葉を忘れずに、間違いのない暮らしと、その想いが実行されているか、そして、他者への思いやりを欠いてはいないかを点検することが大切です。

水子供養へお越しの皆さんが御本尊へ向かい、お手合わせなされ、蓮華堂、絆縁堂の御本尊の地蔵尊へ丁寧なお手合わせ致す、後ろ姿を拝見致していますと、間違いなく良き縁を引き寄せるお手合わせであることをつどつどに確信致しています。

お参りにお越しの皆さんは自身の良き現世ではなく、お亡くなりの赤ちゃんの良き来世を先ずは願い、その想いをお伝えすべく、ご本尊へ合掌、礼拝なされてはいるのですが、それは同時ににご自身方に良き縁が向かう「功徳」となっているのです。

赤ちゃんが此方へ向けて下さっている、「良き縁の道筋」なのです。

有難く受け取りたいものです。

私も良きご縁を多く頂いております。

霊源院で水子供養を勤めさせて頂き、随分と長い歳月が過ぎました。

お堂も含め施設の変化は勿論ですが、何より水子供養へお越しの皆さんのそのお参りの姿勢と思いの深さが年を重ねるにつれ深まってきていることが何より嬉しいです。

その水子供養へお越しの皆さんと私も深く、そして良き縁を頂いていることを感じています。

本日も関東からわざわざにお越し下さり「継続供養」を頂きました、継続の為だけに毎年、京都までお越し下さっています。

又、重たいのですが地元のお土産を携え、お別れ致すまで、ご丁寧な、思いやりに満ちた言葉を継続的に掛けて下さいました。

一年に一度のお会い致す機会ですが、深い良きご縁を頂戴致していることをしみじみと感じ、水子供養を皆さんへお声掛け致し良かったことを実感致しております。

さて、過日は又、富山、能登で地震がありました、あまり多くの被害は発生致しておらぬようですので、少しほっと致してはおりますが、油断は出来ません、被災地の復興を祈念致しますと共に、大きな地震が発生致さぬことを願います。合掌