両手の平の暖かさ
両手の平の暖かさ
供養の心の大切さをここ何回かお伝え致して参りました。
失われた命への深い追慕の想いを込めて致す、追善供養(お亡くなりの故人は善行を積み良き後生を望みましてもそれが叶いません、この世に居る私たちが亡き故人の供養の為、善行を積み)、僧侶の回向と共に、供養を重ねて致します。
霊源院の水子供養は、永代水子供養、釘掛け水子供養の二種類があります。
永代水子供養は共に亡き赤ちゃんへお供養を致し、蓮華堂へその地蔵尊を奉安致しますと10年間はそこでお守り致しますので、命日回向などの法要依頼が無い限りは、ご一緒にお手合わせ、焼香を頂くことはありません。
但し、毎月の地蔵尊の命日には、私がお堂にて読経を致します。
釘掛け供養は一年事に継続、ご一緒にお手合わせを頂きますので、お越しの皆さんの追善のお気持ちが直接に、その度に伝わります。
永代地蔵尊の皆さんも「命日回向」の依頼を通して同じく気持ちが伝わることは変わらぬことは申し添えます。
先日お越しの釘掛け供養継続のご夫婦、本堂でのお勤めの時から合掌の姿を崩さずにおられましたので、想いの深さを感じておりました。
本堂での法要を済ませ、蓮華堂へ移動頂き、ご回向、焼香を促しますと本尊地蔵尊正面に立ち、ご主人が深々と合掌、次に焼香かと思いましたら、ご自身の地蔵尊へ手を伸ばし、両手で優しく挟み、愛おし気に暫くの間包んでおられます、そして徐に焼香、合掌礼拝をなされました。
次に奥さんです、ご主人の動作と全く同じに、寧ろそれ以上に長く、両手で地蔵尊を包んでおられます。
これ程に深い追慕の想いが伝わる、暖かい両手で包み、追慕の心を伝える仕草を拝見致すことが出来ましたことは幸せです。
お二人にとってはごく自然な所作です、おそらくはお参りにお越しの度に、ご自身の地蔵尊を釘から下げ、その暖かい両手で包んでおられるのだと思います。それ程にお亡くなりの赤ちゃんへの深い追慕の気持が自然に表れているのでした。
亡き故人への供養の心は自然にその形を周りの者に伝えます、最近でこそ、葬儀、法要の簡略化が目に見えるようになって来ていて、それが当たり前のような風潮が有ります。
それは間違いで、先ず大切な故人への想いは法要のその中のその方の有り様に、見えますよと教えて下さっているように思いました。
葬儀であれ、法要であれ、華美であったり、多くの皆さんにお越し下さる必要はありません。私の大切な故人へのその想いが伝わることが先ずは第一義です。合掌