大切な供養

2024.05.04

大切な供養

人は「十人十色」、あの人と私は似ている、この人はあの人に似ていると思っても、やはり違うのです。

亡くした大事な故人への想い、大事な亡くした赤ちゃんへの想いも人それぞれです。

蓮華堂、絆縁堂でお参りの皆さんとお会い致し、お話しを致す機会も意外と多いです。

又、お堂へ行きお供えを見たり、皆さんが奉納なされた地蔵尊を拝見致していますと、これ又、供養への想いも様々なのだと感じます。

そして、それらの違いとは全く違い、亡くした大切な故人、お亡くなりの水子さんへの供養は全く致さず、気になりませんというお方のお話しも漏れ聞きます。

勿論、それを非難致すということでは決してありません。

人はそれぞれにみな違うということを思いましたら、供養を致す人、致さぬ人がおられて当たり前なのかもしれません。

お供養を相手に強制致すことは勿論出来ませんし、致すべきものでもありません。

先の大戦後の日本ではある時期まで、「水子供養」が特殊な想いと強制でなされていたことがあることをご存知でしょうか。

水子さんの「祟り」を前に出し、供養をせねば自身に禍が広がる、或いは、供養をせねば自身に禍が降りかかるなどと言って、水子供養を強く勧める所がありました。

聞くところですが、現在でもそれに近い有り様にて、供養をなさっている所もあるやに聞き及びます、そして、少ないようですが、自身に禍が及ばぬように「供養」を致すというお方も少数ですがおられるようです。

その様な方々を非難致すことが本意ではありません、しかし、生まれる前の穢れの無い、無垢の心を持つ、水子さんがそのようなことはと強く思っています。

只、霊源院へお越しの皆さんと水子供養のご縁を頂いている皆さんと接していますとお越しの皆さんが中絶、流産の違いなく「純粋に失なった小さな命への愛おしさを抱え」、供養を致すことで、「この私の気持を届けたい」との想いでお越しになられていることがひしひしと伝わり、戦後の水子供養への有り様が今お越しの皆さんには全く無いのだと感じています。

老若男女に関わらず、蓮華堂、絆縁堂へひっきりなしに皆さんがお越しになられ、その様子を改めて拝見致していますと、大事なお亡くなりの赤ちゃんへ本当の「大切な供養を継続致し」届けに来てらっしゃることを確信致します。

衣を着ている私にとってその大切な 供養の様子を見ることが出来ますことは大きな喜びです。

久しぶりのお天気

今年に入り比較的雨が多く、降らずともどんよりとした空が続いていました。

今日は久しぶりの春の快晴、温度も随分と上がりました。

掃き掃除がてら本堂前の庭に出ますと、緑が輝き、当に「緑陰」です。

深呼吸を致し、吐き出しますと嫌なことも共に出て行く気が致します。

今年も暑い夏が近づいていると思いますと少し心配なのですが、今暫くは爽やかな緑を満喫できそうです。

ゴールデンウィークの真っ最中です、皆様も様々な所で楽しんでおられるとは思いますが、お供養に霊源院へお越しになられましたら「緑陰」も是非、楽しんで下さい。合掌