禅の言葉、「時時勤払拭」

2023.06.15

禅の言葉、「時時勤払拭」

時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)、短い禅語ですが奥の深い言葉です。心を曇らす塵やほこりは「常々」に心がけて払い清めなさいという意味を持っています。

先日、水子供養へお越し頂いたお方から、「ご住職のお寺は何時お邪魔致しても、庭は常に掃き清められ、お寺の中も常に清浄になされていますね」と過分のお褒めのお言葉を頂戴致しました。

勿論、頂戴致したお言葉にはとても感謝ですが、実際の所は中々に掃除が追いついてはいません。

お庭は10日に一回、シルバー人材センターの皆さんがお越し下さり、冬の寒さの中、夏は猛暑の中、寒さに凍えながら、汗を拭きだしながら丁寧にお掃除を致して下さっています。

蓮華堂、絆縁堂、地藏堂はスタッフの女性お二人が、此方も10日に一回は必ずお越し下さり、お堂の隅々まで丁寧にお掃除下さっています。

その結果、蓮華堂、絆縁堂へお参りの皆さんからは、何時お参りに来ても気持ちよくお参りが出来、亡くなった赤ちゃん方を安心してお預け出来るとの、此方も、有難い過分の評価を多くのお参りの皆さんから頂戴致しています。

霊源院の寺域が清浄に保たれているのは、ご紹介の皆さんのたゆまぬ行為により実現致しています。

さて、私自身もお寺の仕事、法事、法要、お葬式、檀家さんのお宅へのお参り等が無い時は心がけて境内、建物の中の掃除を致しています。

その時に感じる事、「ついこの間、此処は拭き掃除をしたのに、もうすでにこれ程に汚れている」、ついこの間、此処では雑草を片付けたのに、既にこれ程に雑草が伸びている」と感じる事が多いです。

言い古された言葉「塵も積もれば山となる」に通じるように、清浄に致した場所が、塵にまみれるのは瞬く間です。

落ち葉、草に覆われた庭、埃のある家の中、此方は気が付いた時にお掃除を致せば何とかなりますが、人間の「心」に積もる塵は中々に厄介です。

様々に私たちの心に迫って来る、悪しき欲望、楽を致したいという横着な心、人を憎んだり、貶したり致す悪しき思い、「それらの心に降り積もる塵」は油断致していると、直ぐに心を覆いつくし、剥がれぬ程となってしまいます。お家の掃除のように簡単に清浄な心に戻すことがとても大変となります。

その様な心の塵はため込んでから吐き出すのではなく、毎日、毎日、その時、その時、それこそ、「時時に勤めて」掃き出し、心に塵を貯めぬよう意識致し、自分の心の中を常に掃除を致すように点検致さねばなりません。

日々の生活の中で油断なく、自身の心を覗き、心に塵はたまっていないか、心が邪まな(よこしま)思いに支配されていないかを確認致し、もしそうであれば、塵を掃きだすことを心がけたいものです。

自分の心を覗きます時には、先にお示しさせて頂いた、「時時勤払拭」の言葉を思い起こして頂きたく願います。

此方も心に塵がたまってしまったのでしょうか。

過日の長野県で起きました凄惨な事件、そして又、本日の朝刊にて報じられた岐阜県の事件、私の住む京都でも物騒な事件が報道されています。

心に重い埃がたまってしまったのでしょうか、とても、残念で、辛い出来事ですね。

先に長々と述べましたが、本当に自分の心に塵が積もってはいないか、真摯に見て行かねばならぬと心から感じています。合掌