少し、残念な出来事。

2022.11.07

京都東福寺霊源院の水子供養ブログ

少し、残念な出来事。

何時ものように蓮華堂付近の掃き掃除を致しておりました。

山門脇の通用小門がガラガラと開き、若い男性が入って来られました。

蓮華堂或いは、絆縁堂へのお参りのお方ということは華をお持ちで若いお方しですので直ぐに解りました。

此方へ階段を登り、向かってこられ至近距離になりましたので、「こんにちは」とお声掛けを致しました。

普段にお会い致します蓮華堂、絆縁堂へのお参りの皆さんは男性、女性に別なく、「こんにちは」と申しあげますと、必ず、「こんにちは」とお返し下さり、此方が気づかずとも、皆さんから「こんにちは」、「おはようございます」、更には、「何時もお世話になり有り難う御座います」とのお言葉さえ頂戴致すのが日常です。

時には、立ち話に花が咲くことも珍しくありません。

只、今回は想定外の反応が返って参りました。

「こんにちは」とお言葉を掛け、当たり前に「こんにちは」と言葉が帰ることを想像致していましたが、少し低俗な言い方となりますが「ガン無視」となってしまいました。

一言の言葉も無く、目を合わせることもなく私の前を蓮華堂へ向かわれました。

想定外の出来事でしたので、こんちははとお声掛け致しました、私の方がどう納めればと動揺致してしまいました。

勿論、衣は着ていませんでしたのでお寺の関係者と解らなかったのかもしれませんが。

蓮華堂の中へ入って行かれましたのでお参りへお越しは間違いありません。

皆さんとお会い致し挨拶の時、もちろん個人個人の性格で挨拶の反応は様々です。

元気にご挨拶のお方、日ごろの感謝を伝えながらの丁寧な御挨拶、少し「はにかんで」の挨拶と様々です。

それでも、投げかけたボールは必ず帰って来ました。

しかし今回はそのボールが全く帰って来ませんでした。

初めてですが、残念で少し落ち込む出来事と向き合う事となりました。

お寺の関係者であれ、お参りにお越しの皆さんどうしであれ、挨拶は共に気持ちよく致したいものです。

挨拶の大切さ。

何時もお付き合いなされているお方、初めてお目に掛かるお方、出会いは様々です。

そのお会い致したお方がどのような心持のお方かは到底解りません。

しかし乍ら、お会い致しました時に、「こんにちは、初めてお目に掛かりますが宜しくお願い致します」との思いの一言がありましたら、二人の関係は次のステップへ進み、距離が縮まります。

そこからご縁が生まれ良い関係が出来るのではないでしょうか。

良き挨拶も亡き赤ちゃんへの追善供養です。

亡くなられた赤ちゃんは善行を積み、良き道筋を歩もうと致しても、自力ではそれが叶いません。

そこで、此処に生きている私たちが亡き赤ちゃんに変わり善行を積み上げ、お亡くなりの赤ちゃんの更なる良き転生先を願いますのが「追善供養」です。

蓮華堂へお参りにお越しの時、既にお参りにお越しの皆さんへ、或いは、住職の私への、心の籠った挨拶は何よりの追善供養ではないでしょうか。

お堂へお越しになり、お供えを致し、線香を立て、深々と合掌礼拝は勿論に尊いことは間違いありません。

しかし、先に述べましたように、当たり前の挨拶が抜け落ちたお参りは少し悲しいかと思います。

改めて、日々の「挨拶」を意識致してみてはいかがでしょうか。合掌