楽しみなお供えを頂きました。

2022.10.04

京都東福寺霊源院の水子供養ブログ

楽しみなお供えを頂きました。

先日、何時も大阪からお参りにお越しになられ、お顔を合わすことが出来ました時は気楽にお話しくださるご夫婦とお会い出来ました。今年の夏の恐ろしい暑さ、未だに続く残暑、そしてこれから来る寒さでお話が盛り上がりました。

しかも、話を終え、お別れの時には美味しそうな日本酒、そして、花と見まごうばかりに綺麗な唐辛子を頂きました。

唐辛子

これ程、艶があり、美味しそうな唐辛子は初めてです。お肉と共に炒めてお酒の共にさせて頂きます。

多くのお寺はそこの檀家さん方とそのような会話が多くあろうかと思います。

霊源院も、もちろん沢山の檀家さんが居られますので、お墓参りの皆さんとは当たり前にお話しを致し、更にはその檀家さんへお参りにも行きますので、お話しの機会は当然に多いです。そして様々なお気遣いを頂戴致す機会も当然におおくあり、有難く思っています。只、比較的に年齢の高い皆さんとの会話となります。

有難いことに水子供養で多くの皆さんとご縁をお繋ぎ頂けますようになりました、ここ25年は様々な世代の皆さんとのご縁を頂戴致しております。

僧侶になりたての頃には思いもよらぬことでした。

さて、霊源院が水子供養を始めました頃はまだ、今のようにインターネット、SNS が当たり前の時代ではありませんでした。せいぜいNTTの電話帳広告を通してご縁を頂く程度でした。しかし、僧侶としてお寺を任されるようになり、何とか、お寺を盛り立て、世代を超えて多くの皆さんと多くのご縁をお繋ぎ致したいとの思いは何時も、強く持っておりました。かつての水子供養、おそらくですが50年以上前に声高に叫ばれた「水子供養」は「祟り」(たたり)を前面に押し出したお供養の強要の側面が強く評判の悪い物でした。本来の水子供養は大事なお亡くなりの赤ちゃんの追福を祈ることなのですが。

そして、私が水子供養を思い立ちました時代は勿論そんなことは無く、当たり前に亡き赤ちゃんの良き菩提を願う供養との認識となっていました。

そんな時に懇意にさせて頂いていますお方から、和尚のような世代こそ、若い方々とご縁を結ぶことがとても大事であると共に、若い世代の皆さんが敷居の低いお寺を求めているお気持ちに向き合う必要があるでしょうとの提言を頂きました。その言葉に背中を押され、水子供養を本格的に始めさせて頂き、お越しの若い皆さんがその敷居の低さを実感致し、ご自身のお気持ちで前向きにお参りにお越し下さることが出来ます様、お堂を作り、様々なアドバイスを頂き、工夫致して参りました。

その結果、お陰様で朝から夜まで多くの世代の皆さんがご自身にとって縁の深いお寺としてお越し下さるようになり、しかも先に述べましたように普段の会話を当たり前に頂けるお寺となりました。

長い時間を掛けた結果ではありますが、有難く、感謝です。

そして現在は最初の頃に水子供養でお越しの皆さんも少しずつお年を重ね、赤ちゃんを授かりお子さんも大きくなったり致し、生活環境も変わられた方も多いとは存じます。これからは引き続き多くの皆さんに水子供養でご縁を頂きますと共に、お年を重ねられた皆さんと水子供養以外でも様々なことに関して、ご相談、ご縁を気軽に頂くことが願いです。

これは聞いたら失礼とか聞きにくいとか思いこまず、様々にお声掛け下さいましたら嬉しく存じます。

勿論、これからもお堂の御守り、工夫は続けて参り、より皆さんがお喜び、頼りになる寺たるべく努力は致して参ります。

これから先、より一層に近しくお付き合い頂けますことを心より祈念致します。合掌