気が付けば既に、10月。

2022.10.01

京都東福寺霊源院の水子供養ブログ

気が付けば既に、10月。

今年の凄まじい暑さにたじたじとして日々を過ごしている間に瞬く間に日が過ぎてしまいました。

気が付けば既に10月を迎え、あの猛暑さえも少し影を潜め、暑い日々はまだまだ続いていますが、夜はエアコン無しでぐっすりと眠れる日が増えてきました。

おそらく、寒さに泣く日もそれほど時間がかからずにやって来ると思います。

四季が無くなったとの嘆きを聴く機会も多いのですが、秋の彼岸が終わり、暑さ寒さも彼岸までの言葉通りに季節が進んでいるようです。

このまま順調に気候が進みましたら、京都も紅葉の観光シーズンを迎えます。

東福寺の通天橋に多くの皆さんが訪れる時期もすぐそこです。

さて、光陰矢の如し「こういんやのごとし」、此方の言葉も良く使われます。

霊源院の檀家さん、ご縁の皆様のお宅へ法事でお邪魔致し、お茶を頂き歓談させて頂きますと、決まって多く語られる言葉は「一年の過ぎるのは瞬く間ですね」というフレーズです。

子供の頃は夏休み迄、お正月迄の日が過ぎるのが凄く長く感じ、夏休みが来ますとやっと夏休みという程に日々が長く感じました、

それが、何時頃からか一年の過ぎる速さどころか、朝起きて、迎える就寝の時間までの圧倒的な速さに目をむく日々の連続です。

霊源院へ水子供養でお越しの比較的お若い皆さんは時間の過ぎ方のスピードは如何ですか。

おそらくは日々の速さを感じておられる方が多いのではないでしょうか。

さて、私たち禅宗の僧侶が読むお経の中に興禅大燈国師遺誡「こうぜんだいとうこくしゆいかい」というお経があります。

このお経は普段の法事、法要の時には読みませんが、修行道場で修行をしている僧侶は普段に読むお経です。

修行僧を叱咤激励「しったげきれい」致すお経ですので道場では日々読みます。

その文言の中に「極め来たり、極め去るべし。光陰矢の如し。謹んで雑用心すること勿れ。看取せよ。看取せよ。」(きわめきたり、きわめさるべし。こういんやのごとし、つつしんで、ぞうようじんすることなかれ。かんしゅせよ、かんしゅせよ。)というフレーズがあります。

修行に来たならば、その目的たる教えを真摯に求め、一心に修行に励みなさい。

時間はあっという間に過ぎてしまうぞ。心して油断をしてはならない。

大事な時間を良く見て、日々の修行に励みなさい。といった意味でしょうか。

修行僧はこのお経の文言を励みに、時間と競争で修行に向かっています。

しかし、このお経の文言は修行僧にだけに意味を持つ文言ではありません。

私も含め、日常生活の中で日々を過ごすものは、しなくてはならぬ大事な事なのに煩わしく、面倒な事と、とかく後送りに致しがちです。このお経の文言が語るように、時間はあっという間に過ぎてしまいます、大事な事は、今、此処でしなくては時だけが過ぎてしまうということを肝に銘じ、大事な物事に向かいたいものです。

お風呂の湯舟の恋しい時期となりました。

ついこの間までの暑さは、お風呂に入りましても、到底、湯船につかりゆっくりとは出来ず、慌ただしくシャワーを浴びて出るという日常でした。

ここ数日はうって変わり、湯船につかりますとほっと致す季節となっています。

長期予報によりますと、来週は相当に温度が下がるようです。

身体が低い温度に慣れるまでは油断せずに過ごしませんと、コロナどころか風邪を引き辛い思いを致さねばならなくなります。

どなた様も油断をせずに、日々をお過ごし頂きます様、御祈念申し上げます。合掌